旧い月

映画。心底、良かったな、と思えるものに最近あまり出会てはいないものの、少し、観たもの雑感。

『ハンターキラー 潜航せよ』潜水艦が深度を下げるため船首が下向き、作業着のような揃いの制服を着て腕を組み前方を睨みつける男たちが直立の姿勢のまま、ぐぐっと後ろへ傾ぐ。その何だか斬新なシーンを見られただけでも嬉しい。こんな映画のエンタメとしての気楽な素晴らしさについて、誰かと喋るのも楽しくなってしまうような映画。

『細い目』「恋に落ちるのにかかる時間は?」「5秒」「もっと短い」(うろ覚え)。ヤスミンの映画は、人を優しく凝視めることをこわがらない。

『さよならくちびる』曲とストーリー以外はほとんど良く、ライブシーン以外はずっと退屈せずに画に夢中。それも稀有なこと。女ふたりがずうっと不機嫌で口悪く声低く罵ったりするのを見ているのがとにかく飽きなかった。堂々と不機嫌にしている女の姿を見られるのは僥倖。愛想笑いやお世辞やその場しのぎの冗談を言うシーンなんかない。本当に感じたことだけを人物が手さぐりで言語化してそれで会話が成立している映画、という意味では『ハッピーアワー』を観ているときにも似た多幸感があった。

『トイ・ストーリー4』夜道を歩きながらフォーキーを説得しようと口早にまくしたてるウッディの「とにかくアンディのそばに…」「アンディって誰?」のシーンが一番ほろりときたんだった(会話はうろ覚え)。自分にもそんな名前があった気がするけど忘れてしまった。

『ロスト ロスト ロスト』フィルムに記憶が触発されて、よそ事を考えながらあっという間の3時間。私には関わりのない、今はもういない、故郷を追われたリトアニア人たちの、仮住まいと信じるアメリカでのひと時の幸福そうな顔、顔、顔。

いくらか遡って、『寝ても覚めても』。
「野鴨」の看板を迷いながら横向きに置きなおす人の腰より下、腕の動きと地面をじっと見つめるだけの場面が心に残った。
川が、震災が、ロングショットが、なんて言う批評はどうでもいい。
おめーは、ばかだなーぁ、おめーは許されねーぞー、と言ってくれる声を背中に受けながら、生きていきたくなるような。

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思えば、〈九月、一人、静かに〉という一文を見たときから、ここは九月でした。今では季節でいえば、どちらかというと五月や、山へ行けるあかるい夏のほうが好きになってしまったのに。

2019.09.07 | - |
緑月夜
4泊で台湾へ。去年も同じ時期に台湾へ行った。湿度は連日80%超で気温も32度以上、歩いているだけでワンピースがびしょ濡れになる。身体を冷やすため、緑豆や愛玉子、仙草の冰を食べ続けた。6月に台湾へ行っておくと、7月いっぱいくらいは東京の暑さなんて大したこともないように思えるのだ。
今回は台北へ行かない旅行。桃園空港へ着いたら車で嘉義へ。一泊して高雄は月世界、旗後砲台、果貿社區。それから台南で二泊。レンタサイクルで安平樹屋、ほか買い物と飲み食い。
台南の聚珍台灣という書店兼雑貨店には日本統治時代の写真集や当時の日本人向けの台湾文化指南本を編みなおした本が並ぶ。古い絵葉書集の袋の絵柄などをポストカードにしたものがあり、そこで『民俗台灣』という日本人による雑誌があったことを知る。

恭仔肉燥意麺で、店の壁にゴッホ「星月夜」の色違いの模写が飾られており、思わず写真に収める。その時はほとんど反射的にそうしただけだったものの、その絵の印象があとから胸に迫ってきて何度も写真を見返している。ゴッホの夜は青いけれど、その絵は緑系統の色づかいなのだ。緑色にうず巻く夜の空。左下端には漢字の名が赤文字で記されて。絵の両側にはよごれた扇風機やポスターが壁に張り付いて。ゴッホの本国から遠く離れて、息づく南国の木々のようなあかるい緑の夜空をたたえて、汗をかきながら懸命に麺をすする客たちの頭上で。

昨年よりは言葉もどうにかしようとする意気が湧いて楽しめた。幼児レベルの英語と、中国語はお買い物言葉だけ。多少銭?漂亮。我要。袋子不用。この程度。数字を覚えていかなかったのでスマートフォンの電卓機能を取り出したり、翻訳アプリも活用して。どうにかなるものだなぁ。
高雄の新五分埔は卸売業者でなくても歓迎の店多しと見て行ったもののさほどそうでもなく、打ちひしがれながら歩いていたら奇跡的に親切な女性の店で一着から買えたワンピースは150元。身振り手振りや翻訳アプリでやり取りしてお姉さんと一緒に汗をかきながら、彼女の着ていたものと同じ形のワンピースを柄違いで3着購入した。
高雄の十全玉市場へも行きたかったけれど日程が合わず、龍虎塔のそばの出店で小さな石の連なったブレスレットに惹かれて買い求めた。バングルも良かったけれど、石なのでずっしりと重い。おばちゃんが、テンネン!テンネン!と言いながら、50元まけてくれた。
輸入の経緯が商業ではなく自分の心の動きに縁る、日本にはなかった服を着る、日本にはなかった小物を身につける、のは何だか安心する。ここにいても別の場所のことを思い出す、風穴が開く。



以下覚書。
嘉義・林聰明沙鍋魚頭の魚スープ。阿楼師火鶏肉飯の蒸し鶏。高雄・六合観光夜市で老牌過魚湯の深海石斑魚のスープ。台南・再發號百年肉粽のちまき。恭仔肉燥意麺の意麺。度小月で虱目魚の塩焼き。集品蝦仁飯でエビ飯と香腸。買い物は台南の林百貨店、神農文創市集、小日子、年繡花鞋の刺繍チャイナシューズ。
2019.06.28 | - |
たたえる目
暖かい日、暑い日、急に寒い日。ハナミズキと躑躅の咲き乱れる神田川沿いをしばらく散歩してから井の頭線に乗って渋谷、シネマヴェーラでのハワード・ホークス特集へ通う週末。ホークスの映画は本当に何を観ても素晴らしく面白くて幸福を感じる。人はひと目で人を愛するし、すぐに結婚をするし、秘めた愛を隠すことなんてできない。世代をまたぎ受け継ぐことでしか叶わなかった愛さえ当然のようにある。
『大自然の凱歌』では銀のトレーを放り投げてはお店で暴れまわったとある3人のとても楽しい忘れられない夜、それきりの最後の夜、べこべこになった銀色のお盆をあんな風に壁に掛けてただの一晩を懐かしみながら生きているような人生である気がする、自分も。『今日限りの命』には映画界一可愛く人に愛されるゴキブリが出てくる。ある場面が秀逸で、それがほとんど頂点だった。彼女の寝顔を見たいな、と彼女の弟に言う盲目の男がいる。3人は長い間柄で、2人の男はこれから彼女に黙って危険な出兵をする。「君が見てるあいだ僕は君を触ってるよ。見てるか?」「ああ。見てる」
ほとんどすべての映画に、秀逸な場面と可笑しい場面もある。『虎鮫』で船員が壁に貼る恋人の写真を見て船長が、良い女だなと声をかける。(たしか)エジー・ウェシーというのさ。良い名前だ。それからちょっとした会話で拗ねた船長がその場を去りながら子供のようなふくれ面で、「イジー・ウィシー」と言い放つ。「エジー・ウェシーだ!」「オジー・ウォシー」。それといい、『今日限りの命』のゴキブリといい、本筋の役には立たないこんな可笑しく些細なやり取りが描かれることに、生きる意味も映画を観る意味も全部あるよ。
「ハワード・ホークスとは一目瞭然の映画だ。」と言う人がある。いっこの、そのうえいくつもの映画がこの監督の手にかかればいちいち一目瞭然になるだなんて、こんなにも人間がむやみやたらに恋をしたり、間違いをすることもあり、なのにその眺めは高山へ登って何もない岩肌や野っぱらの景色を見ている時とほとんど同じに感じるだなんて。

少し前にはキアロスタミの初期作のいくつかをようやく観たんだった。数少ない上映の機会には行けないまま、観たことのあるのは後年の2作だけだった。
2月に『友だちのうちはどこ?』を借りて、家で映画を観るときにはいつでもよそ事をしてしまったり中座したり、なかなか友だちのうちにたどり着けない少年の回り道や大人たちのつれない態度にやきもきしながらもいつ終わるだろうなんて思いながら眺めていたら突然あらわれた最後のシーンの花を見た瞬間にぽろっと泣いていた。クレーの絵のような、ケストナーの小説のような一輪だった。
『そして人生はつづく』を観たのは3月だった。監督(役の俳優)が前作を撮った町を息子を連れて訪れて、『友だちのうちはどこ?』にも出ていましたよね、と出会ったおじさんに話しかける。
「あの古い家に住んでいるのかと思ってました。」
「あれは映画の中の家だよ。わしの家じゃない。本当のことを言うとな、ここもわしの家じゃないんだよ。この映画の中の家なんだ。映画の人達が、わしの家だと決めたんだよ。本当のわしの家は地震で壊れてしまったんだ。今はテントで生活してるんだ。」
『オリーブの林をぬけて』で撮影班は町から離れた野原に張ったテントで寝泊まりし、そこに地元のおじいさんがいる。みんなこうした場所に住めば良いのに、というようなことを言う監督(役の俳優)に、でもここには何もないからね、美味しい空気だけでは生きていけないよ、と言いながら、見下ろす町のそのまた向こうの山へ向けて、なにか叫んでごらん、返事があるから、とすすめる。監督(役の俳優)はなにを言おうかな、と言いながら、連れてきた息子(役の子役?)の名前を山に叫ぶ、と画面外から息子が返事をするので振り向いて、なんでもないんだよ、と言う。こうした何気ないシーンに、たまらなく嬉しくなる。
2019.04.29 | - |
人間の春・

週末。土曜はほとんどひと月振りの山へ。他の運動を日頃しないせいか、ひと月も山へ行かないだけで少しずつ体力がなくなり、元気がなくなり、声が小さくなっていくよう。あそこまで、と思っている場所の少し先まで、身体を持って行かないと拡がらないもの。身体でもって押し拡げるもの。

相模湖駅から城山、高尾山。街では終わりかかっている桜や梅や木蓮が、ぼうぼうとふくらみきっていた。歩く人も多い。ジーンズとぺたんこのスニーカーで歩く大学生のグループ、ロープの奥へ平然と入り富士山を撮影する中年男性。人間の春。だけど少し前に見た写真展のこの言葉は、そういったことを言っているのでは多分ない。人間の春と関係もなく、山の短い春は麓から上方へ駆けのぼり抜ける。道のりは3時間半と今日は短く。明るいうちから、人のまだ少ない湯に浸かる。

さっぱりとして、帰りの電車を待つまでの日差しが暖かくて、ふと聴きたくなった歌があった。もう何年も聴くことのなかった歌のことを思い出したりする春がある。いつかの春と接続する春。


日曜はほとんど8年振りの友人と会う。名古屋にいた頃、月に一度は老舗の居酒屋へ集まり飲んだうちの1人の。いつも4人だったから、ひとり欠けたらその店へはもう行くことはないんだった。そうして東北へ行ってしまい、いま東北からやって来た人と東京の西のほうで以前のように瓶ビールから始めて酒を飲み珈琲を飲み、話し続けながらコンクリートの溝を流れる川沿いの道をしばらく歩いた。映画や本の話と、それ以外の話。何も変わっていない気がした、そんなはずはないのに。子ども同士の友達のように普通に手を繋いで歩きたいくらいに懐かしい夜だった。

2019.04.15 | - |
新潟
日曜朝、Maxときに乗り新潟へ。高崎を過ぎ越後湯沢を過ぎ。一面の青田に白鷺がきれい。

レンタカーで十日町へ。越後妻有アートトリエンナーレをいくつか見てまわる。トリエンナーレや現代美術はあまり得意でないけれど、ボルタンスキーの「最後の教室」は親近感が持てるというか、面白かった。廃校に入り、い草の敷き詰められた体育館にはほうぼうを向いたたくさんの扇風機。その風であちこちに吊るされている豆球がゆらゆら揺れる。壁にはノイズ映像が映写されていて、時々、その砂嵐が ぴた と止まる。無音のざわめきが静まる。扇風機は長めのベンチのようなテーブルのような木製の台にひとつずつ置かれていてそれはほとんど棺の形。『ハシッシ・ギャング』なのだと思った。



差し込むオレンジ色の光を切り刻むように回転する換気扇に向かって長い廊下を進んで、二階の理科室では大きな鼓動音に合わせて電球が明滅していた。この音は、ホラー映画だったら絶対にその部屋に入っちゃいけないやつ。三階には灯った蛍光灯が一本ずつ収まる長方形の透明なアクリルケースが無数に並ぶ墓場があった。

夜は松之山温泉に泊まる。ひぐらしが鳴いていた。夕食時、隣の広間で7,8人の爺が順々に民謡のようなものを歌うのを聴きながら鮎を食べたりお酒を飲んだり。ひとり格段に声の良い人がいて、その人が歌い出すと場の空気が変わって耳を惹かれた。

部屋のテレビで、三俣山荘を特集した情熱大陸を見た。次の週末にはあそこにいる。

月曜、星峠の棚田や、展示物をまたいくつかまわってへぎそばを食べ、彼の仕事があるので早めの解散。ひとり新潟駅のぽんしゅ館で日本酒の飲み比べをして、新幹線でこしひかりビールを飲みつつ帰京。
2018.08.05 | - |
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