藤忌
 マンションの向かいに建つ古い個人医院の庭に今年も藤の花が垂れる季節になった。二度だけ訪れたことのあるその内科の問診室で、発音の不明瞭なおじいちゃん先生の白衣の向こう、格子の磨り硝子にあかるい昼間の植物の影が透けていたとおもう。はい、はいとぼんやり何となく頷きながらスリッパをぺたぺたさせて、夜も眠れないほど続いた咳のぴたりと止まる濃い茶色い液体の咳止め薬をいつかもらったんだった。
 外は暖かすぎるくらいの陽気、夕寝の覚めぎわに今日、祖母がわたしの頭のそばへ立ってくれた。こんなにありありと感じられるのは夢でも初めてだった。ちょっと横を向いて寝ている枕辺の斜め上から初めわたしの頭にちょっと触れて、だから見上げようとしたのに首が重たくて視線があとちょっとのところでそれより上へ向けられなかった、必死に何度か試したのだけど、そのまま祖母はわたしの名前を呼びながら、プラスチックのケース入りの冷えたソフトクリームを渡そうとしてくれていたんだった。わたしはそれを見られないまま両手でたしかに受け取りながら冷たさも水滴も感じて、少し皺ばんでいるけどふっくらとした小さい、あの白い手も一緒に包んで、いまもらっても溶けちゃうよ、とか、来てくれたの、とか一緒くたに思いながら泣いてた。
 その後はことりと眠ってしまい夢を見て、水に半分沈んだテーマパークのような町をまわりの人は水着だったけど、父のような人と兄のような人と、構わずに洋服のまま泳いでいって見て回ったりした、ひどく気持ち良くて楽しくてきゃらきゃらと笑った。
 いつかの時に、これだけは、と思って祖母の一ばん身近だった人に、祖母の一ばん好きな花を尋ねたら藤だと言った。家族で満開の藤棚を見に行った記憶もよくよく数えればもう十年以上も前だ。五月の末日は祖母の二周忌になります。
2012.05.03 | - |
土曜日の夜
(4/14)
 春の霊気の夕方あたり、陽の沈んだ直後のつかの間の青暗い頃ひらいた窓の枠いっぱいに、外では満開の桜がどろりどろりと薄紅色のたましいみたいに揺れるのを見てた。今は散りぢりの、だんだんに色気を抜かれて白っぽくなった桜は風を吸いやすい形。アスファルトの上でくるくる旋回をしたり、わずかな窪みになるべく大勢でこぞって軽い身を寄せ合ったり・・・一枚ずつでは指の腹に乗せたコンタクトレンズみたいにたよりない、時機良く芽吹きから落花までを毎日かけて見届けたけどらい年はもう見ない積もりの桜。
 近所の美術館の前庭にある桜は、思川桜というのだそうで、染井吉野の散り終えてしまいそうな今週末からが見頃とのこと。


(4/21)
 長くて持て余してしまいそうなゴールデンウィークに少しだけ山歩きをしてみようと思い立って本や地図やを見比べてはうんうん唸っているところです。近頃はずっと置いてけぼりだったからだをちゃんとさせたいとようやく思い始めています、ここから見えるあそこまで行く体力、土を踏んで、霧の中へ踏み込むみたいに近づくと遠くではなくなってしまう場所しかないなら。
 「一度描かれた道筋は簡単に記憶に残るが、これはわれわれにとってたいへん重要な意味がある。これによってわれわれは暗闇でも字が書けるのである。」とユクスキュルは書いていたっけ、たとえば最寄りの駅から家までの道を何通りくらい知っているんだろ、たとえばいつか歩いたことがあってそのきっかけも地名も忘れてしまったのに景色だけがふいに浮かんでくるような、今いる場所がいつかのどこかに似てると感じるような、もう思いだせない道のりもきっとあるのだけど、それはなかったことにはけしてならないと思った。
2012.04.21 | - |
4.02
 日に日に桜の蕾はむちむちと膨らんで色気づいて、陽にあてられたり夜の春雨をくぐらされたり。紅いろの部分をちょっとずつ覗かせながら焦れったく人の視線をはぐらかす。天気や風のようすを見ながら衣をいちまいずつ落としていく娘たちの足取りから街に春は。かわいいあのこのうしろあたま薄茶の髪が陽に透けて、ほんのり赤みを帯びたいい血色の耳裏で、耳朶の小さな穴の空洞を陰がよけるのを見てたんだよ。


 揺らいだ足元を確かめなおすように一年と二十日ほども経ったこのすばらしく(わたしにとっては)何でもない平日の夜に、この間に目にすることができてよかった主に文章の幾つかをせめて書き留めておきたいと思いました。このブログではあまり固有名詞を出さずにいたい、と何となしに留めていた掛けがねを、ちょっとゆるめてみようとも思い始めていたこの頃です。否応なしに後ろ向きに送られて、いくら目をこらしても見つめても、クレーの「新しい天使」と視線を合わせることができない・・・ただでさえ、つねに遅れをとっていたように思います。
 最初に手の伸びたのは10月に発売された石井光太『遺体』、石巻市の遺体安置所のようすを書き写された本を。ルポタージュのようなものを読むことさえほとんど初めてなのでした、前へ前へとすぐに復興の叫ばれるなか弔いの事や遺体の間近で生きるひとへ注がれた視線が安心させてくれたんだった、つい先日には、『傍観者からの手紙』で好きになった記者・外岡秀俊氏の『震災と原発』という新書が出ていたので参照される文学作品の助けを借りるようにかろうじて読み、それ以外には小説や詩や作家の言葉を少しずつでも待つばかりでした。

まえぶれもなく抱きしめあうことだけを考えて
わたしがあれから見つづけている夢のはなし
がれきだけが巨大な底になる静かな
記憶と無言と断ち切られたきのうばかりで埋められたとほうもない場所にうずくまってみつめるそこで
掘っている
掘っても掘っても手には届かず
汗だけが目におちてくる
しだいに腕と指の感覚がうしなわれ
何を掘っているのかわからなくなる
でも
もう少し
もう少しだけ
あと5センチ
あと3分だけつづければ
もしかしたらすべての何もかもが元に戻るようなものをつかむことができるような気がしてならない
そして夜になってひとり
今日もあそこで手を止めてしまったことがどうしようもなくこわくなる
あそこに
あったかもしれないのに
でもこれはわたしの夢ではなく
今もあの場所できっとそうしているだれかのもの

(川上未映子「まえぶれもなく」現代思想11年9月臨時増刊号imago初出/現代詩手帖11年12月号)

 間もない頃からどうしても、それでもあらわにされたというだけのこと、(まして言葉が)変わったというのじゃない、と言い切ることのできるつよい存在を欲していたように思います、アドルノの言葉を持ち出すなどして去年の3月に初めて生まれ落ちたように振る舞ういくらかの人たちがそれ以前にはいったい何を見て書いていたのかなんて。

 背後を見れば、ついさっきまで有ったはずのものがことごとく無くなっている。そればかりか、うかつに振り向けば、のがれてきたばかりのものに呑みこまれそうな恐怖に、追いつかれかねない。そして目の前には、劣らず不可解にも、日常がある。変わり果てた境遇でも、日常は日常である。目の前に、手もとに、何かがある。(古井由吉『蜩の声』/「子供の行方」講談社)

 つい最近、左右社の新刊から佐川光晴という作家を知って装丁や帯の文句にも惹かれた作品集を読みこの数ヶ月でとても久しぶりに馴染みやすい小説らしい小説を読んだような、気持ちになったんでした、震災には関係がない、それ以前からどうして絶えない悲しみにしか関係がない。どれも08年や09年に新潮や群像などばらばらの文芸誌に発表されたもののようだけれど通じ合う短篇を一冊にまとめて今届けてくれた左右社さんにも感謝を言いたくなるような。

 わたしは取り調べのあいだ中、一つの声に捉われていた。耳の中でくりかえし鳴り響くその声によって、警官たちの罵声はかき消された。だからといって、わたしが救われていたわけではない。それどころか彼女の声はわたしを責め続けて、ほんのわずかでも気持ちが逸れるのを許そうとしなかった。事件から丸二年が過ぎた今も、その声はわたしを責めるのをやめていない。(佐川光晴『静かな夜』/「崖の上」左右社)

 映画のほうでは何種も途切れず公開されつづけた原発に関するものを気にしながらどうしても踏み出せず、この日曜にようやくだけれど3月の福島へ踏み込んだドキュメンタリー『311』をだけ観た、ニュースで見ていたのとはなにか視点の違う現地の映像、その後はしごした別の映画館でちょうどというのか、10月にヴィム・ヴェンダース監督が福島の飯館村を訪れたときの新聞記事が掲示されてあって見ました。

 「映画作家なのに自分の目が信じられない。私の五感はこの風景を美しいと断言している。私がとらえきれない現実を計器だけがとらえている。」(共同通信)

 ものを発することを決めたひとたちの絞り出した言葉や作品を、かき集めて眠れるように、邪悪にひっそりと息をしています。

 まだ汗をかき足りないのだ。それが何に繋がってゆくのかはわからなかったが、長谷川は再び刃を握り、筋肉を軋ませて、立ちふさがる大きなものに挑みかかりたいと思い始めていた。(佐川光晴『静かな夜』/「八月」左右社)
2012.04.02 | - |
三月の兎
 お雛の土曜はあたたかくて昼頃に目ざめたあとワンピースにカーディガンで用事もないのにふらふらと出かけ、日なたをとろとろ散歩したあと果物や下着や桜でんぶを買って帰ってきたのでした。今はまたほんのすこし戻ってきた寒さだけれどだんだんと身軽の格好になりたくて春はきらいなのに、きょうはミモザのまぼろしを見る。ふいにグレープフルーツジュースを飲みたくなる夜半。

 勉強はたとえ必須でも、大仰なふうにそれのことを考えてばかりいるうちにいつの間にか閉め出されて、ということだっていくらでもあるのかもしれません。どこでもドアみたいな、扉だけがあるようです。三十、三百キロくらい先にあるものと、三メートルくらい先にあるもののことを同時に考えていたのじゃなかったかしら、いつだって、そうした時にだけ今ここはあらわれて、その数瞬間には他のうろんな時間すべてかき集めてもかなわないほど。浴びれば巨きくなったり小さくなったりする灯り、姿かたち輪郭を持った何もかにもに指さきで魔法のように触れることができる帰りたくない、だけどむつかしい眉をして見下ろしている空ほど大きな顔があのきらめく無名の目印たちを名づけて地図にして導いてくれなければ、帰ることもきっとできなかった。

 先日、わたしが無償で差し上げるものと組にしたい本を買い求めてそれと同じ額を観音様に奉るという話を聞き、何て素敵なことを考えるひとがいたものだろう、忘れてはいけないと思った。その実践(されるという事、された言葉)にとても動揺するくらい衝撃受けたのでした。今回ほんのりと交流のある方などからはそれでも予想もしなかったお返しなど頂いて恐縮していたのに、それはただ直接はるばるとやって来てくれたのだ、という事に初めて気づかされたみたいに。そうしてまた、わたしがお返しできる額は、宛て先は…。おわらない話、膨張する空間の外側はあらゆるものたちの懐かしい中心点。
2012.03.07 | - |
積みあげた記号ほどいてもとのところへ返す
 二月のあかるい日なたを、桜の枝の剪定作業を見あげながら歩く、まだまだ風は冷たいのに遠くの景色はあいまいに隠されてぼうぼうと霞む春痴れの感じ、この頃にはもう桜の裸木も遠目には尖端から赤らんでいくように見えるのはいったい気のせいなのかしら。ほとんど無色の風みたく、到来した瞬間にはもう飛びすさって霞みのほうへ過ぎていく、日々が体内を通過することもないままぎゅっと目をつぶってカレンダーをひとつずつ塗りつぶすみたいに今は。


 自分が望んだものを、彼は自分が見出したもののために犠牲にし、そしてこの罪は巧みに隠蔽されたのだろう。


 駅員はさっき、馬と僕を見たんだ。アオが僕について来て、一緒に待合室へ入って来たのだ。アオも僕みたいに、自分で自分を救ったのだ。結局は僕の希望は全部かなえられたんだ…と余一は考えようとした。

 僕はこれから、だれも立ち止まったことのない場所に、だれかが立ち止まることを待つ。僕をいぶかしげに眺める眼を、多くの眼の中に探す、と余一は思った。



 霞みのようなめしいを時どきひっぺがしてチープなカメラで写真を撮る、重たい銀塩を持ち歩いていた頃は視界に長方形のフレームがいつでも浮かんでいたものでした、わたしがまばたきをしなければ、そのまま枯れた草がフェンスにもたれていくように静かに身を伏せていったであろうものたちを力づくでひっぺがして複写する、いえ投射された、この肌に守られてわたしはといえばいつまでもそちらへ行けるということもなくって春は、せいぜい花見酒を、あおって落花の境目のところまでぽやぽやと手を引かれて、醒めたらくるりと押し戻されたり。わずか疑いをもつほどに、こんな視界から決然と姿を隠すかれらの誇りよ。


「そう。自分の作った歌だけど、この歌を読んでいると、なんとも言えない生き甲斐を感ずるんです。現在の僕は、無事です。平穏です。幸福です。明るく生きています。」



-『ヴァレリー集成鶚』筑摩書房
- 小川国夫『試みの岸』/「黒馬に新しい日を」講談社文芸文庫
- 上林暁『星を撒いた街』夏葉社

2012.02.27 | - |
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